母校が閉校するとの報に接して3

母校をネット検索で知った時に合わせてよく見る単語があった

「国際基準のカイロプラクティック教育」

これを見ると日本国内では国際基準と基準外のカイロの教育機関が玉石混交状態になっていることがわかる

外国ではカイロプラクティック大学がありライセンス制度もしっかりしているのだが

日本ではヘタすると誰でもカイロプラクターと名乗ることができる状況で

カイロプラクティックに関わり始めてから

このライセンス制度等の法制化に関しては変化を感じる事ができずにいる。

現在は過去の判断の結果であるとは真理であるように思う

この学校に行きたいと自分の決断と両親の支援があったから全くキャリアの違う分野に飛び込むことができた。

道を進むのと大成することは必ずしもイコールではなく努力をしたから必ず報われるという事は無い。

学校に行くと決めたのが2002年の1月で入学が決まり2月と3月は勤めていた会社の有給消化をしつつ、

課題である化学の勉強を参考書を元に独学することになった。

あっという間に4月が近づき3月末に自家用車に必要な荷物を載せ両親と自分の3人で東京に向かった

お世話になるカイロの学校は東京の新橋と浜松町の中間あたりにあるビルのテナントだった。入校式は近くの赤十字ビルの会議場だった。

田舎の学校で育ってきた自分としては、学校というのは校舎があって広いグラウンドや体育館があることを想像するのだが、都会ではそんなのは皆無に等しかった。

教務の先生に聞いたことがある、なぜ「新橋」なのですか?サラリーマンの街とカイロが何か関係あるのかと思ったが、うろ覚えながらカイロの協会的なものの事務所が新橋にあったためだったように思う。

住居としたのは江東区にある学生会館だった。箱根駅伝でCMがバンバン流れている会社が運営している所で平日と土曜日は朝晩の食事がある。学校までは約10kmほどの距離だった、当初は電車通学を考えていたのだが、学校とは言っても各種学校にあたる所になるので公共交通機関で学割が一切使えなかった。結局晴れている日は自転車で雨の日は地下鉄で通うことに…

学校にお世話になることになり通学で街を歩く一通行人のように溶け込もうとするのだが、田舎から都会に出て人の多さに圧倒されることになる(しばらくしたら慣れたけど)

次回はそんなサラリーマンの街で何を勉強したのか書いてみたいと思う。

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