私が開業した理由

私が開業した理由

内容がかなり長くなるので興味があるところをどうぞ

高校生の時、整体に興味を持つ

高校生の時、日本古来からある古武術に興味を持ちいろいろな情報を調べることにより古武術には2つの側面があることを知る。すなわち武術の主である攻撃の面と活術としての整体療法でした。

知識としてそのような方法があるということを知り、武術の面より整体の技術を身につけたいと思いましたが、一高校生がそこまでの行動力は無くせいぜい書籍に載っている内容を断片的に読むぐらいでした。

覚えた内容を家族に試してみたり、知り合いの方がおしりから太ももにかけて痛みで困っているときに施してみたりしました。所詮は断片的な内容でしたので効果のほどは???でしたが

高校を卒業後は保全要因として印刷会社のファミリー会社に就職して整体から遠ざかる状態になりました。

働き出してから近所の整体に行ったことがありましたが施術内容が何か違うと感じ(ツボを押して血流を良くして身体を整えると言っていました)2回は行きましたが3回目は行くことはありませんでした。

社会人2年目頃に難病を告知される

高校卒業後に就職して交替制勤務で働いていてある夜勤明けの日に病院へ診察を受けに行きました。高校生の頃に医師より痔の診断を受けていたので排便時にたびたび下血がありましたが、何の驚きもなく「またか」程度で生活をしていました。

しかし、この時の診察は違っていました。医師より要精密検査と告げられ、その場で検査日の予約を取ることになりました。

検査は大腸内視鏡検査で、初めて受ける検査でした。当時は検査そのものも苦痛だったのですが前処置で大腸の中身を全て排出するため2リットルの下剤を飲むのが大変でした。現在ではかなり改良されており腕の良い医師なら検査そのもので痛みを感じることは少なく前処置の下剤も飲みやすく改良されています。

検査を受け告げられた病名は

「潰瘍性大腸炎」

正直、病名だけ告げられたら???でした。病状として直腸に炎症ある状態でした。そのときは普通の大腸炎程度の認識でした。ただし炎症範囲を広がらないようにするため、薬によって炎症をコントロールすることになり、この日を境に潰瘍性大腸炎の薬が処方されることになります

家に帰り潰瘍性大腸炎についてネットで調べるとあまり前向きな情報は無く、10~20代の若い人に多い原因不明の病気であり完治させる方法は現状では見つかっておらず、薬により症状をコントロールさせることが治療でした。大腸全体に症状が拡がると出血がひどくなるので手術の適応となり大腸を全摘出したりする症例もありました。

この時、まだ20代前半でしたが「お先真っ暗」な状態でした。

後々、患者会に参加したりしたとき、もっと症状がきつい人もいて、自分の症状がかなり軽症であることを知りました。

整体療法の門を叩いてみる

西洋医学の治療を開始しましたが、基本的には投薬治療でした。症状が悪化傾向にあればステロイド剤の使用もありました。今でこそ薬についてある程度は勉強してきていますが当時は知識が皆無でしたので、単純に、ステロイド=悪と間違った認識を持っていました(炎症を抑えるのにステロイドは良い薬ですが使い方が重要です)

あるとき西洋医学以外のものを試したいという衝動が起こり始めました。高校生時代に調べたことがある整体を投薬治療と併用して受けることしました。整体療法はもともと人が持っている自己治癒能力を高めるという部分も受けるきっかけの1つでした。

しかし高校生時代に調べていた整体術を行っている整体院は東京にあり、滋賀から通うとすると移動だけでも大変でした。初めの頃は夜行列車を使ったりしましたが、結局は身体的負担の少ない新幹線に落ち着くことになります。

啓発本を出しているような整体院だったので患者さんも日本全国から来院されていました。受けた整体の内容は、いわゆるボキボキ系の整体と筋肉をほぐす手技を施してもらっておりました。

自分の主観的な印象としては、整体に通っているときは、症状が落ち着いていたように思います。

整体の内容に不満は無かったですが、たびたびの遠距離移動は交通費がかさむこともありもっと近いところで整体院がないか探すことになりました。

あるとき新聞折り込み広告で自宅から車で10分程度走ったところに整体院が新規オープンしたことを知り行ってみることにしました。

東京で受けていた整体とは、また違ってボキボキがあまりない整体で、どちらかというとマッサージに近い印象を受けました。それでも身体の柔らかくなることを実感したとこともあり、今まででいちばん長く通うことになった整体院となります。

整体に通うことになり、院長ともいろいろ話をする仲になります。整体を受ける+院長とコミュニケーションをとることがセットになっていたような感じでした。

手技療法について検索する!

整体に通ううちにいつしか自分も手技療法を学びたい願望が表れ始めました。高校生の頃に感じていた願望です。この願望を持ち出した頃は仕事の勤務態勢が変わり、かなり身体の負担が大きくなり症状も悪化している傾向がありました。

このまま症状の悪化を我慢してする仕事は長く続かないだろうと思い、働きながら手技療法の技術を学んでやがて独立しようと考えるようになりました。

まず形となって行動に表れたのがインターネットによる検索、キーワードとしては整体やカイロプラクティックでした。

カイロプラクティックという単語は知っていましたが整体と混同しておりました、しかも通っていた整体院の院長は「うちはカイロプラクティックも名乗れる」という発言もありますます混同しておりましたので、検索をかけるときは両方の単語で検索をかけました。

この時、検索をかけて資料請求した中に、後に進学するRMIT大学日本校がありました。しかしこの時は働きながらと考えていたのでフルタイムでの学校は難しいとの思いがありましたが、資料に目を通しているとすごい学校であることは伝わってきました。

また仕事をしながら勉強できる学校の資料請求もしたことがあったのですが、資料を読むうちに書かれている時間で技術を習得するのは無謀なように感じました。

思えばこの資料請求が本格的なカイロプラクティックとの接点になったと思います。

父親の急性腰痛

ある日、父親が急性腰痛(いわゆるぎっくり腰)になってしまい、近所の整形外科に連れて行ったことがありました。

当然病院だから何か治療をしてくれるのだろうと思ったのですが、あまりの痛みの為にレントゲンさえ撮れず湿布のみの処方でした。結局その足でなじみの整骨院に行き手技療法を受けて症状の軽減が得ることができました。

勉強した今でこそいろいろわかったのですが、この整骨院で行っていた手技はカイロプラクティックのテクニックの1つであるディバーシファイドテクニックに似た手技を行っていたように思います。

手技療法の可能性を実感した出来事でした。

カイロプラクティックの大学へ進学する

資料請求をしたのですが、特に具体的な行動をすることなく、年が変わり、仕事の内容がますます厳しくなり、人間関係にも悩みがあり身体的負担が重くのしかかってきました。

進学について意識したのがこの頃です、両親とも相談した上で覚悟を持ってRMIT大学日本校の入学審査を受け、入学許可を頂きました。

進学が決まり、会社には退職願を提出し、上京の準備をおこない、入学前学習をこなす日々に突入します。

桜が咲く頃に上京

2002年4月RMIT大学日本校に入学

カイロプラクティックのカリキュラムに四苦八苦する日々

RMIT大学日本校は国際基準のカイロプラクティックを学べる学校として運営されておりカリキュラムは本校であるオーストラリアにあるロイヤルメルボルン工科大学から提供された資料を日本語に訳して授業を行っております。

国際基準は伊達ではなく、フルタイムの4200時間のカリキュラムが組まれておりカイロプラクティックについて徹底的に学習する環境にありました。

基礎医学などを教えに来ている講師は、大学の医学部などで教鞭を執っている現役の講師や、以前教鞭を執っていた人が多数で必然的に内容も高度になっていました。

カイロ学を教える講師陣も国際基準を満たした方で構成されており実技練習も徹底的に行われていました。

大学の1~2年次は、基礎医学やカイロテクニックや検査方法の習得に時間を費やしました、1年の終盤には1ヶ月間オーストラリアに渡航してRMIT本校にて人体標本をスケッチして人体について知る解剖学実習を受けました。3~4年時は1~2年次で学習した内容を実習を通じて患者さんに実践する形式でした。

カリキュラムをこなしつつある程度の生活費を稼ぐため築地のもつ鍋屋でアルバイトもやっており、午前7時30分頃に家を出て授業を受けバイトをして午前0時30分頃に帰宅するような生活をおくっていました。

住んでいた場所が民間企業が経営している寮だったので、いろいろな人との交流があり、今でも年1回は東京で集まったりしています。

在学中は学校付属の外来センターで本格的なカイロプラクティックを受ける機会があり、初めて受けたときの衝撃は今でも覚えています。今まで受けてきた整体は何だったのかと思いました。問診・検査・施術・アドバイスがしっかりしており受けている方も安心して任せられる気分でした。受け続けているうちに過去にレーシングカートで痛めていた首も改善しました。

アクティベータメソッドとの出会い

RMIT大学日本校の1年次に日本カイロプラクターズ協会(JAC)のシンポジウムに出席する機会がありました。

シンポジウムの中で症例報告があり、DC(ドクター・オブ・カイロプラクティック、アメリカのカイロプラクティック大学を卒業した人に与えられる称号です)の先生が発表の冒頭で「潰瘍性大腸炎」について触れられ改善の可能性があるとの発言がありました

この先生が使っていたテクニックがアクティベータメソッドでありました。

そのときの症例報告は小児カイロについての内容でしたが、初めて症例報告というものを聞く経験となりました。

少しでも可能性があれば取り入れるその方針で早速、このDCに連絡をとりアクティベータメソッドを受けることができる治療院を教えてもらいアクティベータメソッドの門を叩きました。

アクティベータメソッドを初めて受けた感想は、帰りの足取りがめちゃめちゃ軽くなりました。ただし潰瘍性大腸炎に関する決定打とはなりませんでした。

私見としては「潰瘍性大腸炎」はハード面(肉体)とソフト面(こころ)の関係性が大きく影響しているのではないかと思われます。特にストレスによって症状が再燃することを考えると心身の関係性を無視できないはずです。

2004年春からアクティベータメソッドセミナーに参加することになります。丁度テクニック創始者であるDr.Fuhrの来日したセミナーに参加できるという絶好のタイミングでの受講となりました。

二足のわらじ

アクティベータメソッドのテクニック習得に進み出したのですが、学校ではまったく学ばないテクニックであったため練習場所に非常に困ることになります。

練習機会を増やすため、アクティベータメソッドで開業している先生の元に押しかけ練習させてもらったり、自らアクティベータ用のベッドを購入しアメリカのアクティベータメソッド本部より直接アクティベータ器を購入して練習できる環境を自ら作り出していきました。

当然のごとく学校で習うテクニックもおろそかにすることなく、しっかりと練習しました。2つのテクニックを同時進行で学んでいく2足のわらじ状態でテクニック習得に励みます。

当時住んでいた寮の個室のドアにアクティベータメソッドを無料で施術をやっていると貼り紙しておりました。少しでも経験を積むためでした。ある夜、アルバイト先から自転車で帰ってきた時、知り合いの寮生が腰痛を訴えて私の個室を訪ねてきました。

急に腰痛を発症してどうにもならないということでしたので、覚え立てのアクティベータメソッドにて施術しました。覚え立てだったので基本的な施術のみをおこないました。

施術後に他の寮生の部屋を2人で訪ねて話をしていたのですが、施術を受けた寮生が不意に腰を捻った時に

「あれ、痛みが無い」と発言がありました。

改めてアクティベータメソッドのすごさを実感しました。この時はベーシックと呼ばれる基本的な施術のみだったのですが、基本の重要さを再認識させられました。後に知ったのですがベーシックの施術で症状の8割は改善するぐらい重要であることを。

外来実習での経験

RMIT大学日本校では2年次終盤に学生同士で臨床実習を行う通称学生クリニック実習がはじまり、それまでに学んだ知識や技術を統合して臨床にあたる、より実践的な内容が始まります。

約半年間の学生クリニック後に試験にパスした者が外来実習に入ります

外来実習は、学校の実習施設である新橋外来センターにてクリニシャンの指導の下で来院される患者さんに施術をおこなう実践的な実習です。ここで300回以上の施術をこなすことが卒業基準になります。

教育機関での施術なのであるときは方針でクリニシャンの指導に助けられたりぶつかったりして経験を積んでいきます。

私自身、この実習では、ある縁でテレビ出演もされている著名な経済ジャーナリストの先生を施術させていただく機会がありました。

学位授与と業務

臨床実習の期間の延長もあったのですが無事に卒業規定を全てパスすることができ、2007年3月学位授与式に出席し念願であった、応用理学士・カイロプラクティック理学士の学位を授与されました。

結局、学業に専念している間もたびたび潰瘍性大腸炎の再燃と思われる症状に悩まされる日々は続いていました。

卒業後、松戸で開業する同期の元で働くことになりカイロプラクティックオフィスの立ち上げをつぶさに見ることができました。このころよりアクティベータメソッドを本格的に臨床に取り入れていくことになりました。

約6ヶ月間松戸のカイロオフィスで業務に従事した後、年が明けた2008年1月に地元である滋賀県に戻ることになりました。

カイロプラクティック甲南を開業

2008年3月に人生の大部分の期間を過ごした滋賀県甲賀市にて実家の一室を改装してカイロプラクティック甲南を開業しました。

またその年の6月にアクティベータメソッド国際上級認定試験に合格してアクティベータメソッド国際上級認定の施術者として一歩を踏み始めました。

またこの年から心身条件反射療法のセミナーにも参加を開始し、こころと身体の関係性からもアプローチする手法を学びはじめました。

基本を忠実に実行し患者様との交流から自らも成長し、患者様が抱えている辛い症状を心身両面からアプローチすることによって少しでも早く改善することを目標にしています。